昨日の深夜番組で脊振村の話題が上っていたので見ていました。
どうも背振に「ヅーベット山」という、珍しい名前の山があるばってん、
その名前の由来はなんじゃろか。
という話らしい。
地図で探すと確かにありました。→ヅーベット山
翻訳にもかけてみたけど、外来語ではないみたい。
どちらかというと、北海道の地名に似てるような気がするけど、
ご存知の方がいらしたら、番組で探してますよ。(^^)v
番組の中で背振村のおじさんが、「ジャピーさん」と親しげに呼んでいた、
フランスの飛行家“アンドレー・ジャピー”と脊振村の人々とのエピソードが、
一冊の本になっています。
飛べ!赤い翼―冒険飛行家ジャピーを救った人びと
いきいき人間ノンフィクション/ごんどう ちあき (著), 稲川 弘明 ・・・・
1936年、パリ・東京間を100時間以内に結ぶ懸賞飛行レースが開催されました。
フランス航空相の企画で、賞金は60万フラン、当時の日本円にしてなんと約10万円!!

星の王子さま―オリジナル版
背振山に墜落した「コードロン・シムーン」のシムーンという名は、
「サハラ砂漠に吹く熱風」という意味だそうです。
「星の王子さま」の作者アントワーヌ・ド・サン・テグジュぺリ。
彼も、1935年にパリ-サイゴン間の懸賞飛行に、愛機シムーンで挑戦しました。
途中でリビアの砂漠に不時着し、九死に一生を得ていますが、
この時の経験が「星の王子さま」の元になったそうです。(*^_^*)
心温まるエピソード、世界に誇れるお話だとは思いませんか。もっとスポットが当たってもいいですよね(^_-)-☆
長野県安曇野には「飯沼飛行士記念館」が、群馬県倉渕村には「塚越機関士記念館」があるそうです。
参考サイト
脊振村商工会 / 「ぶんぶん飛行史」さん / 神鋼電機と神風号
<< 背振山ドライブTOP << 田舎のお宿"なちゅらるいん" ← → 三瀬ルベール牧場どんぐり村 >>
どうも背振に「ヅーベット山」という、珍しい名前の山があるばってん、
その名前の由来はなんじゃろか。
という話らしい。
地図で探すと確かにありました。→ヅーベット山
翻訳にもかけてみたけど、外来語ではないみたい。
どちらかというと、北海道の地名に似てるような気がするけど、
ご存知の方がいらしたら、番組で探してますよ。(^^)v
番組の中で背振村のおじさんが、「ジャピーさん」と親しげに呼んでいた、
フランスの飛行家“アンドレー・ジャピー”と脊振村の人々とのエピソードが、
一冊の本になっています。
飛べ!赤い翼―冒険飛行家ジャピーを救った人びと
いきいき人間ノンフィクション/ごんどう ちあき (著), 稲川 弘明 ・・・・
1936年、パリ・東京間を100時間以内に結ぶ懸賞飛行レースが開催されました。
フランス航空相の企画で、賞金は60万フラン、当時の日本円にしてなんと約10万円!!
フランスの飛行家、アンドレー・ジャピーは、「コードロン・シムーン」に乗り挑戦飛行に出発しました。
順調に飛行していましたが、香港から東京を目指した時、悪天候と日没、燃料切れという非常事態に陥り、
やむなく福岡の雁ノ巣飛行場に着陸しようとしました。
ところが霧の中に現れた、背振山の山腹に衝突してしまったのです。当時の新聞
脊振山に爆音が轟きました。驚いて飛び出す脊振村民たち。
村民たちは、まだ道もろくに整備されていない冬山にもかかわらず、
夜を徹して必死に救援活動を行ない、重症のジャピーを救出しました。
救助されたジャピーを、脊振村村民全員で救おうという雰囲気になったそうです。
隣の神埼町で手厚い介護を受け、ジャピーの怪我も徐々に回復しますが、さらに神崎町の医師 神代辰蔵の進めで、
当時の九州帝国大学病院 (現在の九大病院) に送られ治療を受けました。
無事退院したジャピーは、再び脊振村にやって来て、村の小学校の朝礼に出席し、
児童達の前で 「メルシー ボクー」と心からのお礼を言ったそうです。
佐賀県脊振村の村人たちの、献身的な救助活動に感激したフランス政府から、
大使館を通じて村に感謝状を贈られました。
脊振山の現場には記念碑が建てられています。
順調に飛行していましたが、香港から東京を目指した時、悪天候と日没、燃料切れという非常事態に陥り、
やむなく福岡の雁ノ巣飛行場に着陸しようとしました。
ところが霧の中に現れた、背振山の山腹に衝突してしまったのです。当時の新聞
脊振山に爆音が轟きました。驚いて飛び出す脊振村民たち。
村民たちは、まだ道もろくに整備されていない冬山にもかかわらず、
夜を徹して必死に救援活動を行ない、重症のジャピーを救出しました。
救助されたジャピーを、脊振村村民全員で救おうという雰囲気になったそうです。
隣の神埼町で手厚い介護を受け、ジャピーの怪我も徐々に回復しますが、さらに神崎町の医師 神代辰蔵の進めで、
当時の九州帝国大学病院 (現在の九大病院) に送られ治療を受けました。
無事退院したジャピーは、再び脊振村にやって来て、村の小学校の朝礼に出席し、
児童達の前で 「メルシー ボクー」と心からのお礼を言ったそうです。
佐賀県脊振村の村人たちの、献身的な救助活動に感激したフランス政府から、
大使館を通じて村に感謝状を贈られました。
脊振山の現場には記念碑が建てられています。

星の王子さま―オリジナル版
背振山に墜落した「コードロン・シムーン」のシムーンという名は、
「サハラ砂漠に吹く熱風」という意味だそうです。
「星の王子さま」の作者アントワーヌ・ド・サン・テグジュぺリ。
彼も、1935年にパリ-サイゴン間の懸賞飛行に、愛機シムーンで挑戦しました。
途中でリビアの砂漠に不時着し、九死に一生を得ていますが、
この時の経験が「星の王子さま」の元になったそうです。(*^_^*)
ジャピーの遭難の翌年、1937年4月9日、朝日新聞社の「神風号」が、東京〜ロンドン飛行94時間14分余に成功しました。
ジャピーは入院中に「神風号」の成功のために、自分が使用していた地図を贈るなど、情報を提供しました。
飯沼操縦士・塚越機関士が「神風号」で飛び立つ時、
「カミカゼはお国のために飛ぶのですか? パイロットにとって大切なのは、リンドバーグのような心です。あせってはダメ、
私のように失敗してはいけません」
と忠告したそうです。
二人はその教訓を生かし、当時としては驚異的な世界記録で飛行し、熱狂に包まれたロンドンに着陸しました。
ジャピーは入院中に「神風号」の成功のために、自分が使用していた地図を贈るなど、情報を提供しました。
飯沼操縦士・塚越機関士が「神風号」で飛び立つ時、
「カミカゼはお国のために飛ぶのですか? パイロットにとって大切なのは、リンドバーグのような心です。あせってはダメ、
私のように失敗してはいけません」
と忠告したそうです。
二人はその教訓を生かし、当時としては驚異的な世界記録で飛行し、熱狂に包まれたロンドンに着陸しました。
心温まるエピソード、世界に誇れるお話だとは思いませんか。もっとスポットが当たってもいいですよね(^_-)-☆
長野県安曇野には「飯沼飛行士記念館」が、群馬県倉渕村には「塚越機関士記念館」があるそうです。
参考サイト
脊振村商工会 / 「ぶんぶん飛行史」さん / 神鋼電機と神風号





テレビ見ながらか書いたので内容が薄いのですがトラバさせてください。