明けて五日。日にちのたつのは早いもので、うだうだやってると、す〜ぐ来年になっちゃう。
ゆっくりでいいのに、年令だけは忘れずにとっていくし。。。
新しい一年が始まるたびに、今年こそはアレッ、今年はコレッ、
とやりたいこと考えてはいるけど、満足に形になったことがないし。。。(T_T)
今年はハードルをばさら低くして、できることからやってみよう。
まずは、超ローカルでマイナーなお題。『豊後清原氏ゆかりの地を訪ねる旅』
ごく一部の方以外は面白くないかもしれないですね、^^;
もう一つは、2005年にお参りした『国東半島三十三ヶ霊場巡り』を再訪すること。
今度はもっとスローペースで、一ヶ所、一ヶ所、丁寧に周ってみたかと思いよります。
よかったら、また一年飽きずにお付き合いくださいませ。o( _ _ )o


きっかけは、熊本県小国町にある私の好きな巨木で、樹齢千年を超える「下城の大イチョウ」。
大分県玖珠町の「三日月の滝」「嵐山滝神社」から、小国町の「鏡ケ池」、小説『茜色の伝説』へと、
伝説の舞台を周るうちに、豊後清原氏の始祖「清原正高公」に対しての興味が更に湧いてきました。

元記事には清原公ゆかりの方々にも来て頂きました。
ありがたいですね〜、「ブロガー冥利に尽きる」と感謝し、
今年は新たなカテゴリーを作って勉強してくことにします。
まずは大分県玖珠町にある「船岡神社」に参拝。
「船岡新宮八幡縁起」によれば、
・726年 宇佐八幡の御神影を祀り社殿を造営
・975年 清原正高公、現在地に遷座、とあります。
元宮の場所がよくわからないのですが、
「蜂の御社跡」に、石塔と手植えの樫の木があったらしい。
またゆっくりと探してみましょう。
祭神は応神天皇。
正高公の甍去13年後、 正高公の孫・助通の霊夢によって、
・1039年、正高公を新宮八幡の相殿祭神とする。
その折、後朱雀帝直筆の「正高霊」の御額が下賜され、
浄財を集めて作られた「黄金の晩鐘」が納められました。
その鐘は後に盗難に会い、現在は複製の鐘だそうです。
船岡神社は玖珠の町中に程近く小高い山の麓にあり、切株山や田畑が眺められる静かな所です。
山には元宮があるのでしょうか。登る道の案内もありましたが、寂しい道なので遠慮しました。
どなたかご存知であれば教えて下さいね。暖かくなったら登ってみましょう。


神社は普段は空で、祭礼の時だけ神主さんがおいでになるそうです。
主役の正高公については、「船岡新宮八幡縁起」に次のように書かれています。
人王四十代天武帝第三皇子舎人親王四代の末裔、少納言備後守清原通雄の嫡男、生まれながら艶長優美にして、ことさら横笛の妙手なり
平安の頃のお姫様が、はるばる因幡の国から豊後まで追っかけてくるのですから、さぞ美しい青年であったのでしょう。子孫の男性にそのDNAは受け継がれているのかしら。
思わず「あさきゆめみし」の光源氏(Amazon)
を妄想してしまいました。☆.。.:*・°

正高公は玖珠郡山田郷の地頭「矢野検校・藤原久兼」の娘・矢野御前(名は初音)を娶り長野の庄に館を構え、 祈願所の長寿院、小松女院を祀る「滝権現」、樵夫を祀る「木樵大明神」などを造営します。 984年に罪を許された正高公は、一子正道を玖珠に残して京に帰り、再び朝廷に仕え、 老後は山科の別荘で過ごし、1028年に亡くなりました。
昭和48年、船岡神社で「正高公入郡一千年祭」が、平成5年には「一千二十年祭」執行されたそうです。 各地に散らばる正高公の子孫の方々の協力で記念碑が建立され、記念誌が発行されました。 苔むした千年祭の記念碑には、清原一族ゆかりの古戦場「角牟礼城址」の自然石が使われ、 「清原武士団」、「玖珠衆」として名を馳せた一族にふさわしい記念碑となっていました。(b^ー゜)

『茜色の伝説 − 清原正高私考 − 』を出筆されたのは、「船岡神社」の前宮司・宇都宮菊夫氏の長女の佐藤素子さん。現宮司のお母様だそうです。
平安の頃の時代背景が難しかったけど、王朝絵巻の小説として描かれているので「船岡山」よりは読みやすかったです。^^;
「船岡山」はネットから手に入れたものの、なかなか読み進まず四苦八苦!
歴史は学生時代から苦手なんですけどね、子孫の方々の系譜を頭にいれておきたいと思っているので、もう少し頑張ってみます。
他にも手に入れたい本があるので時々古書検索で探したり、玖珠方面に行く機会があれば、関連の寺社も訪ねてみたいし、古い街並みも歩いてみたいですね。どこかリクエストがあれば遠慮なくコメント下さいませ。
・正高公の出自や年号は諸説があり、「船岡新宮八幡縁起」の記述を掲載しております。 ・「船岡新宮八幡縁起」は一千年記念誌「船岡山」を参照しました。 ・船岡神社の地図
元記事には清原公ゆかりの方々にも来て頂きました。
ありがたいですね〜、「ブロガー冥利に尽きる」と感謝し、
今年は新たなカテゴリーを作って勉強してくことにします。
まずは大分県玖珠町にある「船岡神社」に参拝。
「船岡新宮八幡縁起」によれば、
・726年 宇佐八幡の御神影を祀り社殿を造営
・975年 清原正高公、現在地に遷座、とあります。
元宮の場所がよくわからないのですが、
「蜂の御社跡」に、石塔と手植えの樫の木があったらしい。
またゆっくりと探してみましょう。
祭神は応神天皇。
正高公の甍去13年後、 正高公の孫・助通の霊夢によって、
・1039年、正高公を新宮八幡の相殿祭神とする。
その折、後朱雀帝直筆の「正高霊」の御額が下賜され、
浄財を集めて作られた「黄金の晩鐘」が納められました。
その鐘は後に盗難に会い、現在は複製の鐘だそうです。


正高公は玖珠郡山田郷の地頭「矢野検校・藤原久兼」の娘・矢野御前(名は初音)を娶り長野の庄に館を構え、 祈願所の長寿院、小松女院を祀る「滝権現」、樵夫を祀る「木樵大明神」などを造営します。 984年に罪を許された正高公は、一子正道を玖珠に残して京に帰り、再び朝廷に仕え、 老後は山科の別荘で過ごし、1028年に亡くなりました。

昭和48年、船岡神社で「正高公入郡一千年祭」が、平成5年には「一千二十年祭」執行されたそうです。 各地に散らばる正高公の子孫の方々の協力で記念碑が建立され、記念誌が発行されました。 苔むした千年祭の記念碑には、清原一族ゆかりの古戦場「角牟礼城址」の自然石が使われ、 「清原武士団」、「玖珠衆」として名を馳せた一族にふさわしい記念碑となっていました。(b^ー゜)

『茜色の伝説 − 清原正高私考 − 』を出筆されたのは、「船岡神社」の前宮司・宇都宮菊夫氏の長女の佐藤素子さん。現宮司のお母様だそうです。
平安の頃の時代背景が難しかったけど、王朝絵巻の小説として描かれているので「船岡山」よりは読みやすかったです。^^;
「船岡山」はネットから手に入れたものの、なかなか読み進まず四苦八苦!
歴史は学生時代から苦手なんですけどね、子孫の方々の系譜を頭にいれておきたいと思っているので、もう少し頑張ってみます。
他にも手に入れたい本があるので時々古書検索で探したり、玖珠方面に行く機会があれば、関連の寺社も訪ねてみたいし、古い街並みも歩いてみたいですね。どこかリクエストがあれば遠慮なくコメント下さいませ。
・正高公の出自や年号は諸説があり、「船岡新宮八幡縁起」の記述を掲載しております。 ・「船岡新宮八幡縁起」は一千年記念誌「船岡山」を参照しました。 ・船岡神社の地図





今年もよろしくお願いします。
年末年始はPCを触らなかったので今頃の訪問になってしまいました
こちらに来た時、あれ?写真がないけど間違った?と思ってしまいました〜。
絵文字も使えるしテンプレ?ブログを変えたのですか?。
美味しそうなおせちですね〜。
ほんともう5日だし、あっという間に時間が過ぎて行きますね〜。
きっと今年はさらに一年が早く感じるんだろうな